長いあとがき

最終更新: 2019年8月17日



活動を休止してからもTRYART RECORDSの看板を守り続けるというユウシ君の意思は固かった。それはそれでいい。だが、少なくとも更新のない公式サイトをそのままにしておくのは、おれの気持ちが許さなかった。半年も経った頃だろうか。ユウシ君に声をかけてTRYART RECORDSのコンテンツをすべて削除した。やがてドメインの更新期限が過ぎ、サイトも消滅した。 3年弱続いたTRYART RECORDSはこれをもって幕引きとなった。コンピレーションやオリジナルアルバム、EPなど、レーベルからリリースされたCD音源は10枚。TRAT-〇〇の製造番号がついたプロダクトはこれまでに26。イベントは7回実施された。 ユウシ君はまだTRYART RECORDSの代表を名乗っている。だからTRYART RECORDSの名前は「公式には」まだ消えていない。



ここからは長いあとがきだ。


ユウシ君には「プロデュース力」と「面倒見の良さ」が、おれには「儲ける意思」と「協調性」が足りなかった。ただ、足りない部分を補えばいいというものでもなかった。この段階になると、一人の人間が両方を持ち合わせ、クルーを強引に引っ張るパワーが必要になる。もしかしたら、成功者とかカリスマとか言われる人達はそれができる人種なのかもしれない。


要するにおれたち二人がトニー・ウィルソンになれなかったのはそういう所だった。単純におれ達の力が足りなかったし、何よりシリアスじゃなかった。基本的には全てが遊びの延長線上だった。「これでのし上がる」とか「メイクマネーする」という強烈なハングリー精神や強かさは持ち合わせていなかった。


だからと言って別に後悔している訳でもない(反省はちょっとだけしている)。あれはあれで楽しかったと思えるからだ。金のことで揉めなかったし、TRYART RECORDSに関わった何人かは、より大きなステージで活躍することになった。だからまあ結果としてはまずまず、よかったんじゃないかという気持ちもある。



Within Boundsはその後、今に至るまで活動を休止している。2017年の冬、花月草子1夜限りの再結成ライブで、こちらも1夜限りの再結成を行い、ごく僅かなオールド・ファンを喜ばせた。「今日がいままでのライブで最高に良かったんじゃないの」とメンバーに伝えたら微妙な顔をされたが、それはおれの本心だった。土屋雄太はコンビニマンションテクニカラーを率いて全国ツアーを行うなどシーンで活躍。今年、とうとう自分のライブハウスを立ち上げた。浜松に住んでいるヤマチとは小学校の同窓会で年に1回だけ会う。なんだかんだ言ってヤマチとおれは一番古い友達同士で、それは変わらない。



the Baamusicはレーベル休止後、ベースのマーくん、オリジナルメンバーの村上マン、伊藤ちゃんが相次いで脱退。紆余曲折あったがメンバーを変えつつ今日までマイペースな活動を続けている。どうやら「年に1回はライブをやろう」と決めているらしい。このバンドのファンだった(そしてレーベル末期はスタッフでもあった)ユウシ君は後にベースとしてこのバンドに参加。現在もメンバーだ。実は2009年頃おれもメンバーとして加入したが、バンドにはよくある「方向性の違い」みたいな理由ですぐに脱退した。しかし、その後も友達付き合いは続き、2枚のEPと2枚のアルバムはおれがアートワークを手掛けた。これはだいぶ後にマーチさんから聞いた話になるが、残響レコードからのオファーが検討されていたという。真偽のほどは不明だ。



THREE QUARTERは最もコンスタントに活動している現役バンドだ。レーベル活動休止後もGROPのCMソングを歌うなど、地元に根差したスケール感ある活動を続けている。結成当初からメンバーを変えずにバンドを18年以上続ける事が如何に難しいか。それは、おれたちが一番よく知っている。ビートルズでさえ10年だ。スケジュールが合わずなかなか一緒に遊んだりする事はできなかったが、2016年の暮れに同窓会的なメンツのライブがあり、みんなで記念写真を撮った。亮くんが「箸」をやらなかった事だけが心残りだ。


ユウシ君は2012年、地元の井原市でhoshiotoという野外フェスティバルを開催。毎回「今年が最後かも」と言いながらイベントを続けている。その規模は年を追うごとに大きくなり、地方フェス主催者の雄として大学から講演依頼もあるそうだ。今や藤井裕士といえばTRYART RECORDSの代表でもWithin boundsのドラムでもthe Baamusicのベースでもなく、hoshiotoの人だ。おれからしてみれば、ユウシ君がやろうとしているのはTRYART RECORDSでやり残した事なんじゃないかと思っている。だから一人でその続きをやろうとしているんだろうな、と。


TRYART RECORDSは言ってしまえば「全力の遊び」だった。hoshiotoはよりプロフェッショナルなイベントであり、興行だ。天候に左右される野外でのイベント開催。しかもラインナップには大物ミュージシャンが並ぶ。背負う責任も金額も桁違いに大きい。だから嫌なことも山ほどあるだろう。それでも理想に向かって突き進む推進力には恐れ入るし、尊敬もしている。


おれ自身の後日談をする。TRYART RECORDS休止後はDJとして単発のイベントをこなしつつ、仕事でチャンスを掴み再び上京。広告代理店に勤めつつthe BaamusicのPVを3本撮った。そして2010年、また岡山に帰ってくる。hoshiotoに関してはロゴ制作には関わったものの、それ以降の運営には一切タッチしていない。これまでに3回ほど足を運んだが、あくまでもいちオーディエンスとしてイベントを楽しんでいる。そこで道を違えたという事だ。「プロフェッショナルな興行」よりも「全力の遊び」を求めるおれは、地元にできたプロサッカークラブの過激派サポーター、つまりフーリガンとして音楽とはまた別の熱狂を求め、爪痕を残していく事になる。 そう。結局は「全力の遊び」こそ、おれが理想とするレーベル像だった。24HOUR PARTY PEOPLEを観ればわかるが、ファクトリー・レコードは、結局アマチュアの集団だった。もっと言えば友達同士の戯れ、悪ふざけだった。ただ音楽に対してだけはクソ真面目で、売れそうになくても良いと思うものには採算度外視でバックアップした。それがたまたま売れただけの事で、それでも儲けを考えなかったから潰れたし、そういう感じが最高だった。けれども、それを突き詰めると最終的には破綻しかない。わかっていても敢えてノー・フューチャーを選ぶ。そういう所がおれにはある。今もそうだ。

それを考えるとTRYART RECORDSはアマチュアとプロの分水嶺だったんだろう。何も成し遂げてはいないし、シーンを作れたとも思わない。やり残したこともある。けれども後悔はしていないし、至らなかった自分自身にも納得している。そして何より、友達がたくさんできた。だから忘れないうちに記録しておこうと思った。



最後に、おれの曖昧かつ適当な記録に的確なツッコミを入れてくれたユウシ君に感謝したい。ときどき一人で突っ走っているように見えて心配になったりもするけれど、まあ、言うなればこの14回にもわたるTRYART RECORDSの話は、偉大な親友に対する(性格の悪い)おれなりのメッセージだったりもするし、それは受け取って貰えただろう。書いているうちに自分の至らなさも掘り起こしてしまって、終盤はほぼ反省文みたいになってしまったけれども。


ご覧の通りファクト・チェックは書きながら行った。加筆修正をしているので、ヒマな人はまたイチから読んでくれ。


Index TRYART RECORDSの軌跡


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