幻のビッグディール

最終更新: 2019年8月17日

2005年。年始にイベントを行う事になっていたので慌ただしかった。 今回からライブ会場を岡山MO:GLAに移した。MO:GLAは老舗のライブハウスでキャパが広い。「3バンドで100人は呼べる」と踏んでの判断だった。DJ・VJ・アート集団の他に写真の展示などもあり、いよいよオトナの学芸会の様相を呈していたが、やはりバンドそのものも工夫が必要だろう、フレッシュな何かを、という事で各バンドがお互いのカバー曲をやるという企画を実施する事になった。また、各メンバーが手書きで書いたプロフィールの冊子が配布された。それらのアイデアの殆どはユウシ君が考えた。


2005年1月11日 TRYART RECORDS EVENT Vol.5 at 岡山MO:GLA


動員は見事に100人越え。ファンの気持ちに寄り添った企画は顧客満足度(イヤな書き方だな)も高かったに違いない。しかし、レーベルとしてはこれ以上する事がないという所まで来てしまったな、とも感じた。いま思えば150人は入るMO:GLAを一杯にするという目標は当たり前のように立てられたし、そうしなければならなかったはずだ。けれども、これ以上どうすればプラス50増えるのか、それを考えるのは途方もない事のように思えた。


この頃、各バンドは島村楽器HOTLINEで軒並み好成績を残していた。岡山県の予選を勝ち抜くのは最早当たり前だった。実際、あまりにも簡単に中四国エリアファイナルまで行くので、おれなんかは「HOTLINEって結構マイナーな大会なんじゃないか」と勘ぐったぐらいだ。


Within Boundsは新しく池添君をベースに迎え、なんとかバンド活動を継続していた。しかし天才・土屋雄太は前年に自身のバンド、コンビニマンションテクニカラーを結成してそちらに活動の比重を傾けていた。バンドの掛け持ち自体は別に珍しい事じゃない。コンビニ~は土屋のワンマンバンドみたいなものだったが、その分だけ才能が純化されて花開き「戦争の終わり」という曲で全国にその名を響かせていた。島村楽器のHOTLINE2004でジャパングランプリを獲ったのだ。花月草子時代と併せて、2つのバンドで日本一を獲ったのはおそらく土屋雄太だけだろう。そんな事情もあって、Within Boundsの活動ペースは以前よりも鈍った。


THREE QUARTERはチボリ公園や学園祭などの大きな公演をこなしつつ、各種バンドコンテストに参加。島村楽器HOTLINE2005では中四国エリアファイナルを勝ち抜いてジャパンファイナルまで進み、2位の優秀賞とギター・エフェクター・MTRを勝ち取った。前年のコンビニマンションテクニカラー、そして花月草子と、このコンテストでは岡山出身のバンドが無双状態だった。そして何よりTRYART RECORDSから日本で2位のバンドが出たのだ。


the Baamusicはフジロック・フェスティバルの出場権が得られる「ルーキーズ・ア・ゴーゴー」の最終選考まで残った。惜しくも出場とはならなかったものの、バンドのポテンシャルは証明されたと言っていいだろう。そのアンダーグラウンドなサウンドが災いして、コンテストでは苦渋を舐めてきたバンドだ。いつのHOTLINEだったか忘れたが、中四国エリアファイナルで審査員に「ギターソロがないから面白くない」と切り捨てられた事があった。テメーはザ・ポリスを知らねえのかファック野郎!と思ったが、そういうつまらん評価をされがちなバンドではあった。おれはソングライターとして、またリリシストとしてのみさっちゃんを高く評価していたし、村上マンの跳ねるようなドラミング、伊藤ちゃんの土臭いギターが好きだった。このバンドがフジロックに出るために何が足りなかったのか。おれは今でも時々考える。the Baamusicのピークはこの時だったと思うからだ。



実はこの頃、ユウシ君にはある筋からTRYART RECORDSをレーベルごと買い取りたいという話があったらしい。金額も聞いたが、それは思わず首を縦に振りたくなるビッグディールだった。外から見れば専属スタッフが何人かいて、きちんとしたバックアップ体制があるように見えたのかもしれない。「ハッタリ」はうまくかませていたのだ。しかし実態はバンド掛け持ちのユウシ君と、本業の傍ら内職的にレーベル業務、つまりA&Rをやるおれ、それと、みさっちゃん、モロくんの4人体制に過ぎなかった。この頃になると「月次定例ミーティング」と称してファミレスで打ち合わせすることも稀で、殆どの打ち合わせはメーリングリストで行われていた。そのような実態だったので、レーベルを買い取ったところで、オーナーはどうする事もできなかっただろう。


もちろんユウシ君はこの話を断った。ロンドン・レコードからの買収を断ってファクトリーを倒産させたトニー・ウィルソンみたいな、ちょっといい話だ。しかしファクトリー・レコードと違うのは、借金がなかった事だ。契約書がない所は一緒だ。おれたちは確かにいつも金がなかったが、なさすぎるということもなかった。


しかし、逆に言うとレーベルが停滞していた原因の一つとして、リスクを負わなかったということは挙げられるだろう。バンドへの積極投資は行わなかった。それをやるだけの原資がなく、かといって博打を打つという考えもなかった。借りようと思えば会社員なりの金額を借りる事はできただろう。それだけの勇気はなかった。テレビ番組への出演やチボリ公園との蜜月、更に惜しくもフジロック出場を逃したとはいえthe Baamusicの躍進を考えれば、この時が「無理をするチャンス」ではあったのだと思う。


借金をしてプロモーションに投資していれば、あるいはスポンサーを付けて資本を確保すれば、違う未来があったのか?それは誰にもわからない。



ハイランド - The Baamusic


Chapter:13

それは、静かに燃え尽きた


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