Tada your lit tack eye mono

最終更新: 2019年8月17日

レーベル活動の認知は地道な努力なりには積み重なっていた。それぞれのバンドにファンが少しづ増えてきていた。そして、その中にはイベンターやフリーペーパーを発行している音楽フリークもいた。



関西のバンドシーンをメインに紹介しているフリーペーパー「FACE」の編集者カジさんと出会ったのもこの頃だ。カジさんは岡山在住でありながら、週末が来るたびに関西方面に出かけてはライブを観てレビューを書くというなかなかハードコアなアクティビストだったが、小規模ながら岡山にもバンドシーンがあるという話を聞きつけ、TRYART RECORDSに興味を持ってくれたのだった。


以降、TRYART RECORDSの活動は「FACE」に度々取り上げて貰う事になる。このフリーペーパーは関西のタワーレコードにも配布されており、こういった音楽のメディアに取り上げられるのは、レーベルに携わる者として嬉しいかぎりだった。


何かいいエピソードはないか一所懸命思い出していたんだけど、一度カジさんに誘われて京都の「磔磔」に遊びに行った事があった。あれはANATAKIKOUのライブだっただろうか。3マンだった気がする。関西はインディーバンドのシーンが成熟していた。それはメジャーへの登竜門でもあった。いま思えば「いろいろ勉強しておきなさいよ」という事だったのかもしれないが、おれとユウシ君は千本鳥居で記念写真を撮ったり新福菜館のラーメンを食べたり完全にお上りさんの観光気分で面白おかしく京都を堪能し、大満足で岡山に帰った。後にあの経験が生かされたのかどうか定かではないが、カジさんとは今でも良き友人、良き同志として繋がっている。ここまで書いて、大していいエピソードでもないな、と思ったが、もったいないから消さない。


TRYART RECORDSは次のイベントに向けて動き出した。また半年後。時間はあるようでなかった。それぞれがバンドとして活動する中で、裏方としてレーベルの事を考えられるのはおれ一人だったからだ。だから、半年に1度のイベント開催はペースが遅いようで、なかなか大変なミッションだった。次のイベントも「ライブ&コンピ」で行こうという話はかなり早い段階で決まった。メンバーの意思疎通がうまくいっていたというよりは、他にアイデアがなかったのだ。


ただ、前と全く同じことをやるのは無しだ、という認識は全員が持っていた。次のコンピは、インディーズでは珍しい「ライブ盤」にしようという事になった。 バンド単体ではそれぞれのペースで順調に活動していたこともあり、TRYARTのイベントは「ファン感謝デー」的な位置づけにしようという事も話し合いで決まった。前回のイベントの利益は微々たるものだったが、各メンバーから半強制的に徴収した資金で制作費を捻出し、ライブ盤は50枚作って無料配布することになった。


これは個人的な話だが、おれは昔からどんなアーティストでも「ライブ盤」が好きだった。スタジオ録音盤よりも荒々しいぶん力強く聞こえるし、オーディエンスがちゃんとそこにいる感じが良かった。例えば2000年にリリースされたアンダーワールド「Everything Everything」は彼らのどのスタジオアルバムよりも傑作だと思っていた。今もそう思っている。


そんなおれの勝手な理由もあって、ライブ盤の制作には力が入った。3組3曲づつ、各バンドにはそれぞれの活動の中でライブ音源を録って貰った。そしてジャケットは3色3種類。これには訳があり、4色同時セットになっていた当時のインクジェットプリンターのインクを均等に使い切る為の策だった。前回の放蕩から学習し、コペルニクス的転回でマイナスをプラスに変えるミステリアスでハイブロウな発想だった。ライブ盤のタイトルもおれが勝手に決めた。


「Tada your lit tack eye mono what nothing」


――タダより高いものはなし、と読む。 UNDERWORLD- REZ COWGIRL (Everything, Everything Live)


Chapter:10

どのバンドがトリを?


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