2003年9月6日

最終更新: 2019年8月29日

2003年9月6日。TRYART RECORDS発足ライブ ACROSS THE UNIVERSE at 倉敷クッキージャー TRYART RECORDSのお披露目イベントは、絶対失敗するわけにはいかなかった。少なくとも箱は満杯にしなければならない。「1バンド20人は呼ぼう」という声掛けを行った。



コンピレーションCDは100枚用意した。CDといってもCD-Rだ。おばあちゃんのぽたぽた焼きみたいに1枚1枚、手で焼いていった。何せ貧乏所帯なのでPCを持っているメンバーが少なく、確かユウシ君とおれだけでこしらえた気がする。あと一人ぐらいいた気もするが「おれもやったよ!」というメンバーがいたら自己申告してほしい※1。ジャケットはプリンターで1枚づつ出力し、ケースの組み立てとパッケージは全員でやった。包装にも拘りキャラメル包装こそできなかったものの、ビニールでキチンと密封できるような形に仕上げた。とにかく「製品としての完成度」に強くこだわった。そして、おれは最後までクギを入れようと試みたがクルーの強い反対にあい泣く泣く断念した。


※1 ユウシ君によると、CD-Rを焼いたメンバーはおれとユウシ君の二人だけだったらしい。そして、それらの作業はおれの自宅で行われていたそうだ。すっかり忘れてた。


イベント当日、倉敷クッキー・ジャーには約80人のオーディエンスが集まった。小さな箱なので、これはほぼ満杯といってもよかった。あまりにも盛況だったので内閣総理大臣や岡山県知事からの祝辞・電報は謹んで辞退させて頂いた。ミック・ジャガーなどセレブリティがお忍びで多数訪れていたという噂もあったりなかったりしたが、ここでは公表を差し控えさせていただく。セレブリティの中にはモロ君の同僚で、後にファジアーノ岡山で選手としてプレーする事になる村井祐規くんもいた(まさかこの時は10年後にフーリガンとフロント・スタッフという関係で付き合うことになるなんて夢にも思わなかった)。要するに知人・友人をかき集めたのだった。それでも倉敷で80人は、当時としては大きな数字だった。


ライブは大きく盛り上がった。オーディエンスがいれば、ライブは自然とそうなる。観客も参加者の一人だからだ。岸本君と三星堂のアンプラグドなセットで徐々に温め、バンドで爆発させるという進行も上手く行った。言うなれば、イベント自体は5組のアーティストによるブッキングライブにしかすぎないが、各バンドのメンバーがMCで「今日はTRYART RECORDSの設立ライブなので…」となどとわざとらしくレーベル感を押し出した事もあって一体感が高まった。トリは3バンドで最も実績があるTHREE QUARTERが務めた。実際クローザーとして彼らの安定感、信頼感は抜群だった。


コンピレーション・アルバムは50枚以上売れた。コストをかけすぎてしまったので殆ど儲けは出なかったが、そんな事はどうでも良かった所など実にトニー・ウィルソン的だ。イベント自体は黒字となり、バンドにはわずかながらバックも出た。(打ち上げ代で消えた)ああ、これが「レーベル感」ってやつなのかな。よくわからない。よくわからないけど、とりあえずこれが始まりだ。そんな風に思った。


ライブがはねたら、そのまま打ち合げで酒津公園へ。30人程で明け方まで騒いだ。おれは普段飲まない酒を大量に摂取し、酔っぱらって得意のバク転を披露した挙句、失敗して顔面から着地した。どうやって帰ったかよく覚えていないが、たぶん女の子に送って貰ったと思う。

Chapter:8

夜、チボリ公園の夜


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