宇宙の果てへ

最終更新: 2019年8月17日


TRYART RECORDSのメンバーは全部で11人。しかし、まともに働いているのはユウシ君とおれ、それにTHREE QUARTERの3人だけだった。つまり、後のメンバーは学生かフリーター、或いは無職だった。ロスト・ジェネレーションと呼ばれた世代のど真ん中、24歳なりのリアルである。



おれは断腸の思いで各メンバーから毎月1,000円づつの運営資金を徴収することにし、足らずの分はユウシ君と2人で負担することにした。そうして集めた3万円ほどの現金がTRYART RECORDSの原資だった。コンピレーションアルバムは100枚作るつもりだったが、もちろんプレス代には遠く及ばない。まずはCD-Rとプリンター製ジャケットによる手作りから始めざるを得なかった。


しかし、それにも関わらず、おれは素材とクオリティに拘り、コンピレーションアルバムのジャケットデザインには惜しみなく金をかけた。また、各バンドのサウンドは全く考慮に入れず、自分の表現したい作品をアートワークにした。そしてここまでの流れを誰にも相談しなかった。バンドのカラーがどうであれ、おれはあくまでもUKインディーのファクトリーをやりたかったのだ。そういう所は完全にエゴイストだったし、誰にも文句は言わせなかった。


ただし、ケースのインレイ部分にクギを入れるというアート的でポストモダンでエッジの効いたグッド・アイデアはほんの少しの安全面と大きな手間暇の関係で却下された。もし2003年以降でこのアイデアを取り入れているアーティストがいるならば、オリジナルはおれだと声を大にして言いたい。


一方で、レーベル代表のユウシ君はイベントのブッキングに奔走していた。まだ我々TRYART RECORDSにはスリーマン・ライブをやるだけの人気がない。そして身内だけではなく他のアーティストも呼んだ方がお披露目感も出るだろう。そのゲストアーティストはレーベルと同じバンド編成ではなく、ソロかアコースティックのデュオがいい。


白羽の矢が立ったのは、当時深夜のテレビ番組にも出演し、ストリート・ミュージシャンとして売り出し中だった岸本ヒロキ、それと同じくストリートで人気だった三星堂というアコースティック・デュオだった。おれは当時からあまりテレビを見ていなかったので彼らが何者なのかサッパリわからなかったが、ユウシ君が選ぶなら、とお任せだった。いずれのアーティストもユウシ君とは旧知の仲であり、岸本君とthe Baamusicとは同じ大学の軽音サークル仲間でもあった。程なくして両者からイベント出演OKの返事が来た。この5組でイベントをやる。そしてコンピをリリースする。


ライブハウスも決まった。岡山市民会館、コンベックス岡山、オルガホール、マスカットスタジアムなど様々な会場を検討したが、最終的には倉敷クッキー・ジャーに落ち着いた。奇しくもおれが最初にWithin Boundsと出会った箱だ。まあ、みさっちゃんがそこでバイトしてたから融通がきいたってだけの話だ。 最後にイベント名が決まった。「ACROSS THE UNIVERSE」。これを決める過程もそこそこ大事なはずなんだが、すっかり忘れっちまっている。みんなで話し合った筈だが、ネタはたぶんおれが考えたんだと思う。言うまでもなくビートルズの曲名だ。いったい何が「宇宙の果て」なんだろうな。壮大さを出したかったんだろうか。ぶっちゃけダサいな。若気の至りだな。


レーベル発足からおよそ半年、いよいよイベント開催日が近づいてきた。


Chapter:7

2003年9月6日


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