自主レーベルをやってみないか

最終更新: 2019年8月29日


土屋雄太。Within Boundsのライブで一人ずば抜けた個性を放っていたギターヴォーカルの名前だ。「花月草子」というバンドを解散してこのバンドに加入したばかりだという。5歳年下の土屋はTRYART RECORDSが輩出した、たった一人の天才である……と言いたいところだが、この男はレーベル加入前から天才だった。別におれたちが育てた訳じゃない。もう一人ぐらい天才がいた気がするけれど、後でじっくり思い出すとしよう。



花月草子は土屋雄太と大平伸正、高林正樹(故人)からなる3ピースバンドで、ティーンズミュージックフェスティバル全国大会で大賞を獲り、島村楽器主催HOTLINEジャパンファイナルでもグランプリを獲った19歳の超新星だった。しかし、バンドは3年足らずで解散してしまう。


大平伸正はghostnoteを結成し、後にメジャーデビュー。土屋雄太もコンビニマンションテクニカラーを結成。インディーズながら全国流通&ツアーを達成する人気バンドとなるが、それはかなり先の話だ。


Within Boundsはその土屋雄太とタルさんこと樽角厚志がツインヴォーカル&ギターの形をとり、ベースにヤマチこと山口立介、ドラムにユウシ君こと藤井裕士を据えたオーソドックスなギターロックバンドだった。彼らもまた野心を持ち上のステージを目指すグループの一つだった。だがバンドの未来云々は置いといて「幼馴染がやっている地元のバンド」として、おれたちの友達付き合いが始まった。


ある日、ユウシ君が「自主制作レーベルのようなものをやりたい」と連絡してきた。バンドひとつひとつの力は弱く、プロモーションも満足にできない。だから幾つかのバンドで共同体を作ってシーンを盛り上げていけないだろうか、という趣旨だった気がする。この頃、岡山のギターロックバンドは、ある程度レベルが高い所だけ見ても10や20ではきかない数のグループがほぼ横並びの状態で共存していた。ただ、ghostnoteとFlaming echoは当時から実力面で頭ひとつ抜けている印象だった。彼らは単体で売り抜けていけるバンドだ。けれども「それ以外」である自分たちはシーンに埋没してしまうのではないかと考えたのだろう。


今のようにSNSは発達していなかった。YOUTUBEも存在していなかった。おれはデザインの仕事を生業としておりWEBサイトの制作にも精通していた。ユウシ君にしてみれば前から構想はあって、ちょうどプロモーション業務にうってつけの人材が現れた、という事だったのかもしれない。


おれは24HPPを観たばかりだったから頭が「ファクトリー馬鹿」になっており、あまり深く考えずに「自主レーベル?それは面白そうだ」と乗っかる事にした。Within Boundsは全然アシッドでもなければUKインディーな音でもなかったが、そのレーベルをおれにとってのファクトリー・レコードにしようと目論んだのだ。それがおれの野望だった。何より、そういう遊びは楽しそうだった。


ある日、ユウシ君から会わせたい人物がいるというので、徒歩なら半日はかかるであろう最果ての地、総社市まで出掛けて行った。幸い鉄道という便利な文明の利器があったので(しかしディーゼルだ!電車じゃなく、汽車だ!)1時間弱でついた。その日は自治体主催だか何だか知らないが「ぼっけえ総社」という、絶望的にダサい名前の野外イベントが開催されており、そこにWithin Boundsと、会わせたい男がやっているバンドが出るという。おれは内心そんなブルシットな名前のイベントに出るんじゃねえよ、と思っていたが、無用な波風は立てぬよう言葉を飲み込んだ。


目的の男に会うことが出来た。みさっちゃんこと井関弥里だ。the BaamusicといういたくUKインディー臭いバンドのフロントマンで、同い年ながら2浪の現役美大生だった。そして日本で4番目に大きな古墳の近くに住む総社市民でもあった。どうやらユウシ君はこのバンドと一緒にレーベルをやりたいらしい。初対面だが、おれは「UKインディーが好きだ」と聞いていたこの男を試すつもりでいきなりジョイ・ディヴィジョンのブートレグにまつわる話をしてみさっちゃんを置いてきぼりにし、その日はあまり要領を得ないまま別れた。ただ一つ、シャーラタンズが好きだという事だけがわかった。レーベルをやりたいんだというユウシ君の情熱は、この時は空回りしているように見えた。イベントは案の定、音楽面だけ見れば「ぼっけえサムく」得るものは少なかった。


だが、レーベル設立の話は頓挫するどころか、ますます前のめりに進んでいく。


花月草子 / アイボリー


Chapter:4

知らぬ間に加速する


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