2003年の倉敷クッキージャーで

最終更新: 2019年8月17日

2003年。家庭の事情で東京から岡山に引き上げていたおれは、仕事をするでもなく東京時代に嗜んでいた安物のケミカルや並行輸入で手に入れたスマートドラッグで長い昼間と夜中を行ったり来たり満喫していた。しかし、それにも飽きてしまったし、なけなしの貯金も尽きたので仕方なく仕事をはじめ、それと同時に地元の同級生ヤマチに連絡を入れた。



ヤマチは小学校からのツレで、早くからギターを弾きバンドをやっていた洒落者だ。「ゴースト・ハンターズ」という超B級映画を教えてくれたのも「逆襲のシャア」を一緒に観たのもヤマチだ。高校は別々だったが、上京した後もごくたまに連絡を取り合った。


まだおれが東京にいる頃、ヤマチは山梨の大学に通っていた。おれのマンションに2週間ほど泊まり込み、二人でYAMAHA CS1-XとQY70を使ってアンビエント・テクノみたいな音源を共同制作した事もあった(CDまで作ったのにジャケットだけで中身がないのでどのような音だったか全く思い出せない)。頻繁に連絡を取り合うことはなかったが、腐れ縁というやつで、節目ごとに生存確認を行うような感じで2年か3年が経った。ヤマチは大学を出て岡山に帰り、少し遅れて今度はおれが岡山に帰ってきたという訳だ。


24歳になったヤマチはまだバンドをやっていた。そして倉敷クッキージャーでライブをやるので観に来たら、と誘ってくれた。バンドはWithin Boundsという名前だった。正直そのネーミングはイマイチだなと思ったが、おれのバンドじゃないので何も言わなかった。演奏は思ったよりちゃんとしていた。ちゃんとしているどころか、メンバーの中で一人だけずば抜けた個性を放つギターヴォーカルがいた。彼については後で触れる事にする。


Within Boundsのライブはまあまあ良かったが、それよりも対バンのFlaming Echoというグループが抜群に良かった。このバンドは後に上京し、事務所もついて全国デビューすることになる。ヤマチ以外には友達どころか知り合いすらいないイベントだったが、おれは退屈しなかった。たまたまこの日はDJも入る形の、当時としては珍しいイベントだったのだ。


東京でのクラバー生活の毒が抜けていなかったおれは、嬉しくなって4つ打ちのプログレッシヴ・ハウスに合わせ、体を揺らして踊った。それに合わせるように乗ってきたのがWithin Boundsのドラム藤井裕士だった。後にTRYART RECORDSの代表となる男とはこの日が初対面だ。だが妙にバイブスが合う。二人の他にフロアで踊る者はいなかった。岡山にはハシエンダもなければ、ダンスミュージックも根付いていなかった。互いが何者なのか知らないが、すぐに打ち解けて意気投合した。


踊っているおれたちの横では「何、この人たち……」と遠目に見ていた何人かの女の子がいた。そのうちの一人は4年後におれと結婚する。そして10年後に離婚する。だが本筋には関係ないので、以降、彼女は登場しない。



Chapter:3

自主レーベルをやってみないか


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